思ったこと

東日本大震災の被害からの7年間を振り返ってみました

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 夢ソムリエです。

 

今日は7年前に東日本大震災がおこった日。

 

ですが、何の日なのか、忘れている人が意外にも多いみたいで、かなり驚いています。

 

私のなかでは、911と311は記憶喪失にでもならない限り忘れないであろう出来事です。

 

それくらい強烈な出来事でした。

 

この7年の間、私の周囲や人間関係にもかなり変化があったこともあって、この7年間を振り返ってみることにしました。

 

 

東日本大震災の当日

 

2010年3月11日は平日でしたので、通常通り、朝からオフィスで働いていました。

 

ランチはいつも食堂を利用していたので、その日も食券を買うために並んでいると、手に持っていたお財布が床に落ち、お財布につけていたキーホルダーの一部が欠けてしまいショックを受けたのを覚えています。

 

そのキーホルダーは天然石でできた小さな地球で、気に入っていたので、どうして落ちてしまって、しかも欠けてしまったんだろう、、と思ったんですよね。

 

ランチを食べて午後からの仕事をいつも通り始めていたら、突然ぐらぐらと地震が起きたと同時に、「デスクの下にもぐって!!!」と隣の部署の女性からの叫ぶ声が聞こえました。

 

叫んだのは、上司たちや男性達でもなく、平社員の女性で、彼女の判断力と行動力はすばらしいと感心しました。

 

その時は前職で、自分の仕事をちゃんとこなせば後は自由でしたので、ネットやSNSも自由にログインすることができたので、その日もSNSにログインしていました。

 

そのおかげで、自宅にいてTVを見ている友達から、どんなことが起こっているのかを知ることができました。

 

一般的に、職場ではアクセスが制限されていて、自由にネットを見たり、SNSにログインできないものですが、このような場合、情報が入ってこなくて不便です。

 

その点、前職は自由でしたので、今なにが起こっているのか、どうすればいいのか?を判断することができて助かりました。

 

ですが、職場からは何も指示がなかったので、そのまま仕事をつづけましたが、偶然、マグカップを洗いに行った際に、他の部署の同僚から、「帰宅してもいいって通達が出ている。」との情報を得ました。

 

と同時に、スーパーの袋をたくさん抱えた男性社員が入ってきました。

 

「今日は金曜日だし、明日の朝まで宴会だ!」と飲み会ができるのが楽しみだーって満面の笑顔でした。

 

私はあわてて自分の部署へ戻り、どうして帰宅しても良いと通達が出ているのに上司は教えてくれないのか?と思い、「帰宅してもよいと通達が上司たちに届いていると聞きましたが、帰宅しても良いですか?」と聞きましたが、帰宅しても良いですよ。

 

との返事はありませんでした。

 

ですが、SNSからとんでもないことが起こっている、これはただ事ではない、と思っていた私は、上司に許可を得ませんでしたが、すぐに職場を後にしました。

 

自宅までは、バス→電車→バス、バス→バスの二通りの経路があり、直感で後者のバス→バスを選択しました。

 

バス停に着くと、大勢の人でごった返していましたが、タイミングよく最初に乗ることができてイスに座ることができました。

 

どうして私の自宅方面のバスにすぐに乗れて座ることができたのか不思議でした。

 

道路も渋滞していましたが、座れたおかげで疲れもなく帰宅することができました。

 

飲み会に参加した同僚達

 

その職場では定時が18時15分でしたが、私はその前に帰宅したわけですが、同僚たちは定時まで仕事をし、その後、飲み会に参加したと後日知りました。

 

上司たちに、電車も止まってるし、今日は金曜日だから明日の朝まで飲んでから帰ればいいから、と言われたそうです。

 

ですが、できれば家に帰りたい、と女性たちは思っていたそうで、その時、一人の男性から、「彼女が車で迎えに来てくれるから、自宅までお送りしますよ。」と声を掛けられて、お言葉に甘えてお願いすることにしたそうです。

 

ですが、これは良い選択とは言えず、渋滞に巻き込まれて数時間も車中に閉じ込められることになったと言っていました。

 

上司の言葉を振り切って、すぐに帰宅した私の選択は正しかったようでした。

 

阪神大震災の経験者の行動力

 

当日、都心で会議があり出張していた同僚がいました。

 

メインオフィスは東京郊外にありますが、都心にもオフィスがあり、数人の同僚は震災が起きた当日、都心にいたわけです。

 

地震が起きたとき、ちょうど休憩中で、お客様とは別の部屋にいたそうですが、同僚達は激しく揺れる中でも上司達がなにも言わないため、いつも通り業務をつづけていたそうです。

 

東京では、時々地震が起こるので、少しくらい揺れても平然としがちですが、その時も同じだったようです。

 

ですが、今回はオカシイ、と思うはずで、同僚は疑問を持ちながらも上司達が地震について触れないため、自分からは口を開かなくて仕事をつづけたと言っていました。

 

さて、休憩が終わり、お客様のいる部屋に移動すると、お客様たちの姿はなかったそうです。

 

鞄や背広など持ち物はそのままで体だけなかったそうです。

 

そのお客様達は関西からの方たちで、阪神大震災を経験しているので、揺れた時、荷物も持たず体一つで東京駅へ向かい、新幹線に伸び乗って関西にある自宅へ帰宅したとのことでした。

 

新幹線に乗れたので、どれほど素早く行動したのかがわかります。

 

あれほど揺れても平常心を保ち何ごともなく仕事をしていた同僚達と、阪神大震災を経験した人達の行動力の差がちがいすぎます。

 

背広も鞄もコートも持たずに、隣の部屋にいる会議相手に声も掛けずに、東京駅に向かったとはすばらしい行動力です。

 

後日、同僚達が彼らが置き去りにした荷物を宅急便で届けたそうです。

 

東京駅に向かわず会議を続けていたら、彼らが関西に帰宅するのは数日後になっていたし、それまで泊まるところも確保しなければならなかったでしょうし大変なことになっていたとお察しします。

 

帰国した外国人たち

 

その職場には海外から来ていた同僚達もいましたが、退職して帰国した人もいました。

 

一人の人は、オーストリア出身で、チェルノブイリも経験し、日本では311も経験することになったと話してくれました。

 

311の後、転職した今の職場でも、いっせいに外国人がいなくなったそうです。

 

私は当時、ダンスを習っていて先生がモロッコの方でしたので、311の後、すぐに電話したところ、王様の名前で航空券が届いたとのことで、帰国されました。

 

モロッコの王様の国民を想う気持ち、判断と行動力が素晴らしいと思いました。

 

 

東日本大震災での人間関係の変化

 

東日本大震災は被災のみでなく、価値観を浮き彫りにし、人間関係の変化があった方も多かったと思います。

 

私の周囲でも、夫婦間の価値観の違いで離婚した夫婦や、逆に結婚したカップルたちもいました。

 

私は2009年に新しい仲間達とボランティアグループ活動をしていたのですが、311が起きてから活動に変化が出てきて、意見の食い違いが起こりました。

 

活動のすべてを福島にしたい、と主張する人が出てきて、当初つくったボランティアグループの活動とは違う方向へと進むことになったのです。

 

それからみぞが深くなり、彼らの本当の目的を知り、今では無関係となりました。

 

彼らはボランティアを名乗って、お金儲けをしたり自分たちが有利なように行動したかっただけなのだと知ることになったのでした。

 

311はつらい出来事でしたが、一人ひとりの価値観や人間性をかいま見ることができた出来事でもありました。

 

いっきに二極化が起こったのも311が強く影響していると思えてなりません。

 

転職先に選んだ職場

 

私はその職場の契約が終わり、次の転職先を探すとき、震災のことも考えて、何か起きた時、歩いて帰宅できる条件を加えました。

 

その通り、40分ほど歩いて帰宅できる職場に就職しました。

 

実際に、歩いて帰宅してみたこともありましたが、今月で契約も終わり退職するため、震災で歩いて帰宅することはゼロということになりそうです。

 

最後に

 

震災にあわれた方は大変なご苦労をされていますし、今も大変な状況の方もいらっしゃると思います。

 

今後も地震が起こる可能性はゼロではないですし、いざという時、すぐに判断できる直感と行動力が人生を分けることになると思います。

 

揺れたとき、大声で叫んでくれた女性の同僚、カバンや背広も置いたまま、体一つで帰宅した取引先の方々、上司に従わず帰宅した私。

 

おそらく、考えている時間はなく、すぐに体が動いたのだとしか思えません。

 

自分が判断して、それが間違っていたとしても、自分で決めたことなら後悔はありません

 

これからもそのような直感と行動力を持つ人でありたいと思っています。

 

震災がおこった14時46分にスピーカーから黙とうのアナウンスがあり、今年も手を合わせました。