ストレスを感じない生き方

頑張らなくても良かったのに必死になって努力してた過去

f:id:yume-somurie:20161004212115j:plain

 

日本人は、努力、頑張る、忍耐、のような言葉を美徳ととらえる人が多いようだ。

 

特に年配の人達にとってはこれらは当たり前のように体に染みついているようである。

 

それだからこそ、日本は戦後に発展を遂げることができたことは確かだけれど、今はこれらの根性論では通用しない時代へと変わってしまった。

 

かつて、私もこの3つの言葉通りに生きてきたと言っても過言ではないと思っているほど、一生懸命だった。

 

だけど、そんなに頑張らなくてもよかったんだ~と思えることもあった。

 

 

根性論を実践していた過去

 

私の場合、趣味にうちこんでいたのと、仕事でも頑張るや努力がぴったりあてはまる時間を過ごしてきたな、という思いがある。

 

ノルマに必死

 

以前、百貨店のショップに勤めていた時、当然ながらノルマがあった。

 

百貨店のノルマとショップのノルマの二つがあった。

 

また売上とは別に、その百貨店が発行するカードのノルマもあった。

 

毎朝、朝礼のときに自分のノルマをみんなの前で発表するのが日課で、廊下には、表が貼られており、各人の成績が示されていた。

 

そして定期的に朝礼で成績発表が行われるのであった。

 

毎日がノルマとの戦いで、夕方になっても売り上げがないと、目に涙がうっすらと湧いてくるのだった。

 

それは私だけでなく、隣のショップの友人たちも同じだった。

 

友人が近づいてきて目にうっすらと涙が溜まっていると、今日の売り上げ、厳しいんだな、とすぐにわかるくらいだった。

 

そしてお互いに「ゼロ」と報告し合って目を赤くすることもあった。

 

地方ということで来客も少なく、閑古鳥が鳴くことも多々あったため、売上ゼロの日も結構あった。

 

そんな時、どうするのかというと、自分で買うのだ。

 

会社から買えば社販を利用できるため、格安で買えるのに、売上がほしいので定価で買うのだった。

 

売上が落ちると、すぐにショップのスペースが縮小されるし、売上が多いと拡張される、とてもシビアな世界だった。

 

売上のことを気にして、涙を浮かべながら、自己負担で買ったりしていたのだけれど、

 

ある日、

 

「必死にならなくてもよかったんだ~」

 

と気がついたのだった。

 

私は、こんなにも売上が少なくて、上司達にも申し訳ないし、自分はダメだな、と勝手に決めつけていた。

 

しかし、一度も「もっと売りなさい。」と言われたことがなかったし、面接のときに怖いイメージのあった、バリキャリでメチャクチャセンスが良い女部長も他の上司達もみんなにこやかな表情で接したくれていた。

 

そういえば、採用されてから久しぶりに女部長に再会したときに「垢抜けてきたねー。」とやさしく微笑んで話かけてきてくれたのも印象に残っている。

 

面接の時ににこりとも笑わず厳しそうな人だったのに、別人のようなやさしい雰囲気を漂わせていたのだった。

 

私は売らなきゃいけない、というプレッシャーで必死だったけど、辞めた後に振り返ってみると、私に指示や強要をしてき人はだれもいなかったのだ。

 

ファミリーのように暖かく接して下さっていたのだった。

 

だからそんなに必死にならなくて、もっと上司達の温かみを察していれば良かったのかもしれない。

 

あの頃は、売り上げに必死で、売上を伸ばせない自分はダメだと思っていて、それ以外の余裕はなかった。

 

閑古鳥が鳴いていた百貨店で一緒に働いていた同僚たちとも仲が良かったし、上司たちも同僚のように接してくださって楽しい職場だった。

 

ただただ、売上だけがネックだっただけ。

 

売上のことでいっぱいいっぱいで、周りの人達に恵まれていたことにまで神経がまわらなかったのかもしれない。

 

今振り返ると、懐かしいとともに感謝でいっぱいになる。

 

離職するとき、東京にあった本社の人達へも、もっとちゃんと挨拶をしておけばよかった、と後悔。

 

なにしろ20代前半で若かったこともあって、人として足りないことがあったと思う。

 

けど、あの時は若いなりに精いっぱいだったのだ。

 

わりきることを知らなかった

 

デスクワークをしていた時はノルマなんてなかった。

 

なのに懸命に働いた。

 

同僚には、

 

「上司がムリな要求をしてきても、あなた、やっちゃうから。」
「ふつうは、出来なくて、やらなくて済むのよ。」
「あなたがクリアするから、より高い要求がくるのよ。」

 

と言われたことがあった。

 

その通りで、まるでギネス更新を狙うかのように、ムリな要求を次々とクリアしていった。

 

書類の作成などでは、この後外出するから、1分30秒以内に作成してプリントアウトして渡して、と秒刻みで要求されることも多々あった。

 

上司としては、単なる事務職の仕事をしているよりも、もっとプラスαでの職歴がある方が、他の職場へ移った時にも武器になるから、とのことだった。

 

だからなのか、その後の転職の際、面接で私の履歴書を見ると、「肩書きの職歴ではないですね!」とびっくりされたことがあった。

 

また、ある上司は、「あなたにやる気があるのなら、もっと違う内容の仕事もありますが、、、あなたなら、できると思うので。」と言われて、一人だけ違う内容の仕事をしたりセミナーへ出席させていただいたこともあった。

 

こんなタイプの人間なので、もちろん残業だって当たり前のようにしていた。

 

そんなある日のこと、残業をしていたら、上司ではない他のセクションの年上男性が、私のところへ飛んできた。

 

真顔で

 

「残業しなくてもいいんですよ。」
「大丈夫です。」
「もっとわりきって仕事しないとダメだよ。」

 

と心配してくれたのだった。

 

私はわりきれず、そのまま仕事を続けた。

 

そこでの仕事はチャレンジの連続だった。

 

けど、オファーをくださった上司達には感謝している。

 

真面目な人は努力してしまう

 

必至になって仕事に取組むという、異常なほど真面目なタイプって、努力、頑張る、忍耐などを自然とやってしまうのである。

 

そこまで自分に責任を負わなくてもいいのに、と思うところまで自分を追い込んでしまいがちだ。

 

特に私が自分の職歴を振り返って思うのは、百貨店での勤務だ。

 

周りは私が自分で思っているほど期待してはいなかったのに。。。

 

閑古鳥が鳴いている百貨店だったから、売上をあげることが難しいことも、本社の上司たちは知っていたから、売上がそれほどなくても批判されることもなかったのに、、、自分一人で必死になっていたのだった。

 

まとめ

 

真面目な人ほど、我慢したり努力したりしてしまうものだ。

 

だけど、冷静になって周囲を見渡すと、そんなに頑張らなくてもいい、ということに気がつくことがある。

 

自分にとってもうムリだと思えることは、素直にムリだということを伝える。

 

相談をする策もある。

 

真面目な人にはなかなか難しいことだけど、頑張るのをやめたり、我慢することをやめても、ちゃんと生きていけるってことがわかったりするものだ。

 

そして、そっちの方が楽しかったりする。

 

努力は達成感などを感じる快感があるけど、努力をしない人生は楽しさという別世界がある。