思ったこと

ボランティアに熱心な人々と活動を共にして湧き出た違和感

 

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『24時間テレビ愛は地球を救う』というTV番組が先週末にあったようだ。

 

過去に、少しくらい見たことがあった程度で、10年以上前からは1秒も見ない番組である。
子供の頃からボランティアに興味があったのに、この番組には興味が湧かないのだ。

 

 

ボランティア活動に思うこと

 

私は子供の頃から、TVなどで過酷な環境で生活を強いられている子供や、亡くなっていく人達を見て、「何か手助けをしたい!」
とずっと思っていた。

 

JICA(国際協力機構)の存在を知り、JICAで仕事をしたいとも思ったり、週末に国内で参加が可能なNPOなどの団体を懸命に探していた時期もあった。

 

職場で、JICAへ出向したことがある人達の話を聞いてうらやましい!
と思ったりしていた。

 

けど、彼らは人道支援にはまったく興味がないようで、仕事だから1年行ってきました。
という感じだったので、活動したいと思っている私などに譲ってほしい、とも思っていたほど。

 

ボランティアはするけど隣人は愛さない人々

 

かつて勤めていた職場はボランティアに熱心な人達が多かった。

 

けど、同時に違和感もあった。

 

社内報などを見ると、週末はボランティア活動をしています。
と書いてあるのに、毎日後輩男性を怒鳴りつけている女性がいたから。

 

その女性は挨拶もしないし、いつも強気で不機嫌な顔をしていた。

 

また、私が参加していたボランティアグループの仲間達は、いつも、アフリカの難民がかわいそうだとか、貧困で苦しんでいる子供達がかわいそうだとか、偶然街で出会った貧困そうな人へお金をあげたりとかしていて、思いやりにあふれた人達のように見えた。

 

けど一緒に活動をして時間を共に過ごすようになり、違和感が湧いてきた。

 

彼らは、名前も知らない遠くにいる困っている人達へは手を差し伸べるけど、隣人はどうでもいい、ということが分かったのだ。

 

名前も知らない相手については、もちろんどんな人なのかもわからない。
ただ、遠方に住んでいて、貧困で苦しんでいる。
という情報しかない。

 

そのかわり、隣人が困っていても平気だし、グループ全体に迷惑になることも平気でしていた。

 

これって、思いやりがある、と言えるのか?

 

隣人に迷惑をかけて遠くの人に熱心に援助をするってどうなの?
と疑問に思ったのだった。

 

愛情に溢れているのにボランティアには参加しない人

 

上述したボランティア活動が盛んな職場での上司は、ボランティアには批判的だった。

 

「自分は参加しない。」
と断言していた。

 

どうもボランティアに対して違和感を持っていたようだった。

 

「本当に相手のことを思って手を差し伸べるならアピールしない」と仰っていた。

 

ある時、そんな上司が好感をもっている会社を教えてくださった。
その会社はアフリカで学校を設立したりしているのだが、HPにも企業情報などにも一切その活動については掲載がなかった。

 

上司と私の違和感は同じものかも!?と思った。
けど、お互いに、ボランティアってどこか偽善っぽいよね、とか口に出すことはなかった。

 

イベントで出会った人達

 

個人でアフリカに貧困者を救済する団体を立ち上げた人がいた。
現地で立ち上げた理由は、日本などから寄付されてくるお金が現場に届くまでに、現地の人達に取り上げられる現状を見て、これでは現場にお金が辿りつかない。
と思ったからだと。

 

その直後、日本国内でその方を支援するグループができた。

 

私は立ち上げの前からその方のブログの愛読者だったので、日本でその方を支援するグループが出来たとき、参加していたのだ。

 

ある時、お食事会へ参加したことがあった。

 

その時に、隣や前の席にいる人たちと会話をしたわけだけど、自然と

 

「このグループはどこで知ったのですか?きっかけはなんですか?」

 

の流れになった。

 

だいたい、知らない者同士が集まると、ここへ参加した経緯の話になることは多いものだ。

 

驚くことに、現地の方のブログがきっかけだったのは私だけで、みなさんに

 

「めずらしい~」

 

と言われたのだった!

 

他の方達は、日本で支援するグループを立ち上げた女性のファン!?
だったのだ。

 

私はその女性について無知だったけど、話の流れからセレブな感じがあった。
そして私の勘は当っていた。

 

彼女は都心の豪華なマンションに暮らしていて、そのお仕事からも、間違いなくセレブだったのだ。

 

お会いした時の印象は、人当たりが良くてその人自身には好感が持てた。

 

だけど、彼女が企画したグループだから参加した。
という人達の理由にちょっと戸惑ったのだった。

 

食事会へ参加したのはその1回だけで、その後は、イベントのお知らせメールがくるのを眺めているだけだったけど、ある日、もめ事が起こってしまったようだった。

 

貧困に苦しむアフリカの人たちを支援するグループだけど、参加する目的が違う人達がいるから、もめ事が起きたのも仕方ないのかも、と思ったのだった。

 

ボランティアからの卒業

 

海外で、一人暮らしをしながらボランティアに励んでいる方を見るたびに、ご家族はどのような思いでいるのだろう、と思うことがある。

 

私は、ボランティアをする前に、募金をする前に、家族や友人など周りの人たちに対して目を向けるようになった。

 

人類愛は大切だと思うけど、まずは家族や知人を大切にしたいと思うようになったから。

 

そうなってからは、自然とボランティア活動から遠ざかってしまった。

 

ボランティアに熱心になるのにも理由がある

 

私はそこから卒業したようだ。
彼らは私の自分自身の姿で、私は彼らを通して、

『大切なものは何か?』

について気がつくことができたのだ。

 

いつの日か、またボランティアをする日がくるかもしれない。
ただし、家族や友人や知人達や周囲の人々を大切にしながら。

 

ボランティアをされている人の中には、周囲も大切にしながら活動されている人もいらっしゃると思うけど、人類愛に熱くなるほどバランスを取るのは難しいように思える。

 

以上は、あくまでも、私の経験による感想である。