思ったこと

戦争を知らない世代なのに影響を受けている

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今日は敗戦記念日。
終戦とは言わないし、言いたくない。
私は戦争を知らない世代だけど、 間接的に戦争の傷痕を受けている。

 

殺し合いが終わっただけで 戦争というものは、一度起こってしまうと
その傷痕が永遠につづくものだと思う。

 

今から71年前、私の母は10才だった。
九州にある離島の、美しい海と山と、新鮮な魚介類という恵まれた
生活環境で生まれ育ったが、戦争で激変してしまったそうだ。

 

そのため、戦後、離島から九州本土へ引っ越しをすることになった。
母は戦争当時のことを話したことはなかったけど、
数年前から話をするようになった。

 

けど、大変だったとは言うけれど、  
テレビなどで過去の戦争番組があると
当時のことを思い出すようでチャンネルをかえる。

 

米軍の飛行機が上空を飛んでいる音がすると
「あの時の米軍機と同じ音だ」 と言って怖がる。

 

戦時中、近所の友達2人と遊んでいた時、
米軍機が突然現れて、母たち目がけて、
手を伸ばしたら届きそうに思えるほど近くから
爆弾をいくつか投下したそうだ。

 

3人のうちの一番年上の子が (と言っても母より少し年上くらい)
一番年下の子を一番下にして その次に母をうつ伏せにして、
その上に自分がうつ伏せになったそうだ。

 

少し離れた先に大人がいて、米軍機が投下して去って行く瞬間に
「今だよ!早くこっちにおいで!」 と叫んでいて、
母たちもすぐにその場を離れて、大人たちのところへ逃げようとすると
あっという間に米軍機が戻ってきて、 また爆弾を投下したそうだ。

 

なんとか命がけで逃げて3人とも助かったが、
母は「どうしてこんな子供を狙うんだろう」 と思ったそうだ。

 

「米軍機が戻ってくる速さに驚いた。」
「姿が見えなくなったと思ったらすぐに現れた」と。

 

本当なら、母は疎開する予定だったんだけど、
疎開の当日になると、お腹が痛くなって自宅に残ることになったそうだ。
疎開の機会は2回あったけど、 2回とも腹痛で行けなくなってしまったと。

 

母は自分も家を守る。
なんて強がりを言っていたようだが、 本当は怖がり屋なので、
疎開する当日に 腹痛になってしまったのだと思う。

 

でも母が疎開しなかったおかげで、 祖母は助かったのではないかと思う。
祖母は身重の体だったため、 空襲警報が鳴って山へ逃げる時に、2才の弟の手を引いたのは母だったから。

 

母の姉は疎開する前は、学校の校庭で竹やりの訓練をさせられていたそうだ。
母はその光景を教室から眺めていたと。

 

戦争の影響なのか、母は少しの物音でも怯える。
敗戦当時は11才で子供だったけど、 戦争の傷痕は相当なもので、
それから数年後、就職をするのも大変だったそうだ。

 

仕事があると聞けば四国へも出かけて住み込みで働いたようだ。
今の時代では、仕事を選ぶ人が多いけど、
その当時は、仕事を選ぶなんて余裕はなくて
仕事があるだけで幸せだったと。

 

また仕事がないことで、母より年上の女性達は
米兵とお付き合いする人が多かったそうだ。
母より年上で英語が得意な人を見かけると あの当時、
米兵とお付き合いしていたのよ。
と言うことがある。
それは色眼鏡じゃなくて、それも生きる道だったという感じ。

 

外国やアメリカ人がキライに

 

友人の母親は私の母より若いので、戦争を知らない世代だ。
だけど、戦争の話を両親から聞いてきた影響で、今でも外国やアメリカ人が大嫌いだそうだ。

 

外国にも行きたいとは思わないし、 特にアメリカ人が大嫌い。
外国人の彼ができた時には猛反対された。
しかも白人ではなかったのに。
友人にとっては大迷惑な話。

 

戦争を知らないのに、両親の話を聞いて育った 影響で、
外国人に拒絶反応をしてしまうなんて、戦争は殺し合いだけではなく、
生き延びた人々の数世代後にも影響を与えてしまう。

 

戦争をするのは誰のため?

 

「お国のために」とは聞くけど、
戦争でその国に住む人がいなくなったらその国も滅びてしまう。
戦争で儲かる人たちがいることも事実。
武器商人とか、戦後復興に携わる企業とかその企業の投資家とか。

 

それに、戦争を起こす人は現地に出向くことはない。
被害者は、いつもコツコツと働いている庶民。
そんな庶民の子孫にまで影響を与えるつづける。